1月8日(水)15時、父が病院を出て、家に帰ってきました。
普通に、ただ歩けないという状態ではなく、体力がなくなってしまって座ることもできないので、無事に退院してこられるのかしら・・。
退院は、車椅子ごと乗り込める大きな介護タクシーですが、何かあって途中で病院に逆戻りするケースもあり得ます。
もはや、なんでもあり状態。
さらには、正月早々私の身体を蝕んだインフルエンザ菌が、抜け切ってるかも若干心配でした。
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なぜか、父も母もまったく心配してなかったんですが・・
父はインフルエンザになんかなったら即死を免れない状態だったのに。
妙にのんきな父母。
介護開始準備~介護用具ってレンタルできるんですね
介護用具は、6日にフランスベッド社の方にいったんいくつか搬入してもらって、そこからいろいろやり取りをして、7日に設置してもらいました。
今回、すべてフランスベッド社からレンタルしました。
というのは、なぜか、父が、勝手に退院を決めた日に、フランスベッド社に点滴をかけるラックをレンタル手配をしてしまっていたので、一括してレンタルすることになりました。
2人の若者が来てくれて、あれこれ提案してもらいながら決めていきました。
すごく穏やかで、きめ細やかで丁寧なアドバイスをしてくれます。
若くしてこの仕事を選んだというのは、どなたか周りの大切な方が介護生活を送っていたのかしら?
初めて知った仕事に、なんか感動すら覚える。
介護って、母にとっても文字通り初体験なんですな
昔、明治生まれの祖父と同居していましたが、普通に歩き、痴呆にもならず、タバコもお酒もたしなむものの病院知らず、風邪すらもひかず、トイレもお風呂も何もかも1人でできました。
88歳で1人で床屋に行く際に心臓発作で倒れてしまい、そのまま発見された方が救急車を呼んでくれて病院に運ばれてそのまま亡くなりました。
よって、介護なんて一切不要だったので、母にとっても介護は今回初です。
母も、父が退院してくるとは思っておらず、「大丈夫かしら?!!!!」と終始一貫してずーーっと心配してます。
そんな中、もうとにもかくにも、退院を決めたのだから、なんとなかするしかないよなー。
退院当日はこんな感じでした:母のリラックスぶりにぼーぜん!
当日は、母と私で病院に迎えにいき、妹夫婦が実家で待機してくれてました。
さて、バスタオルとかひざ掛けを持って、病院に迎えに行ったのですが、直前に気づいたのが、父が着て帰る、寝間着みたいなものがない!!がーん
病院の売店では、ペラペラの寝具しか置いてないし、これじゃ寒くてインフルまっしぐらだ。
バスローブがあったので、それを何とかできないかと画策してみたが、どうにも無理。
すると、11月に入院してきたときの洋服を着て帰るといい始める父。
この時は、1人で普通にタクシーで病院に来ていたので、なんかぱりっとしたシャツに薄手のDAKSのセーター、下は薄いウールのスラックス、茶色の革靴。
腸液を出すチューブとボトル付きですが、痩せたおかげで、チューブをズボンから出すことに成功!
さらに、よく分からないけど、革靴どころか眼鏡もしっかりかけて、いざ出発。
タクシー中、全身からピシピシという音が鳴るくらいめちゃどきどきしてたけど、なんとか実家にたどり着いて、ホッ!!
その間、一緒に同乗してた母、まさかのすこやかにお昼寝。
まじでびっくりした。
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