すい臓癌で闘病していた父を介護していたとき、本屋で見つけてふと手にした本があります。
「樹木希林 120の遺言」です。
「遺言」という文言にひかれ、パラパラとページをめくってみると止まらなくなり、購入。
それまで知りませんでしたが、樹木希林さんは父と同じく1943年生まれで、2018年9月に癌で亡くなりました。
その希林さんの、過去の発言をまとめた本です。(とにかくかっこいい!)
癌で亡くなった樹木希林さんの名言たち
私が付箋を貼った箇所を、書き留めておこうと思います。
えっ、私の話で救われる人がいるって?
それは依存症というものよ、あなた。
自分で考えてよ。
「死をどう思いますか」なんて聞かれたって、死んだことないからわからないのよ。
ー「老い」と「死」をテーマにした雑誌のインタビューで、「死」の受け止め方について語って。(2017年5月)
父が何度か、「僕はどうやって死ぬんだろう?全然イメージがわかないんだ」とぼやいていました。
そんなとき、たしかに、この言葉は、本当にそうだなあ、と感じました。
がんがなかったら、私自身がつまらなく生きて、つまらなく死んでいったでしょう。
そこそこの人生で終わった。(2012年2月)
がんになって、整理を始めました。撮影が終わると台本は処分して、衣類や食器など1日1点は捨てるようにしています。
物がない暮らしはさっぱりするんですよ。(2018年8月)
最後の最後まで、癌を治したいと戦い続けた父とは、真逆。
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どちらがいいとか悪いとかではなく、どうしたらこういう境地に立てるのか、とたまげました。
希林さんは仏教徒ということをこの本で知りましたが、そのおかげ?
私も仏教徒になりたい。
不自由なものを受け入れその枠の中に自分を入れる。
年をとるというのは、そういうことです。(2015年5月)
これもまた、「老い」の捉え方がすごいなあと。
私もまだ40代ですが、すでに昔はできたけど今はどうやってもできないことが増えてきました。
(階段を2段抜かしで走り下りるとか、できなくなりました)
どうにかして不自由じゃなくなるように、現状維持できるようにと抗ってしまいますが、このように受け入れられるようになりたいところ。
このあたりの不自由さは、父も受け入れるのではなく最期まで抵抗して闘った生き方でした。
人は父を、いい星の下に生まれたと言っていたけど、違う。
いい星の下にしたんですよ、自分の性格で。(1996年2月)
この言葉に関しては、私も父に対して同じ思いを持ちました。
困っている人に相談されると全身全霊で応えていた父ですから、だからこそ人に頼りにされ続けました。
(2012年に父が白血病で入院中、多臓器不全になり生死をさまよって、なんとか復活した直後のこと。
お見舞いに顔を出すと、身体を起こす体力もない状態の父が、誰かと電話をしていて。
驚いて、「誰?」と聞くと、「鬱病で会社に行けなくなってしまった知人から相談を受けていた」と。「すごくかわいそうな状況なんだよ。」と心配してる姿を見て、「相談にのってた?!一昨日死にかけたあなたの方がかわいそうな気もするけど・・・」と目を丸くしました。)
「大きい家に1人でいて寂しくないですか」なんて言う人がいるんだ。
でも、私には、誰かが一緒にいれば寂しくなくなるっていう感覚がないのよ。
1人でいても2人でいても、10人でいたって寂しいものは寂しい。
そういうもんだと思っている。(2016年6月)
とにかく人が大好きで、ものすごく交流関係が広かった父ですが、11月に再発してからは、本人の希望で病院にも面会謝絶にしていて、本当に家族+数人のお友達としか過ごしませんでした。
どういう思いでそうしたのか、聞いてみたかったけど、聞けませんでした。
今振り返ると、父も死に対して覚悟できていなかったし、私や家族もその覚悟ができていなかったように思います。
昨日、母が「まさかパパが私より先に死ぬとは思ってなかったのよね」と言っていて、ぎょっとしました。
(だからなんだってわけじゃないですけど・・。ぶつぶつ)
最後に、自分へのエールとして。
どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。
あんまり頑張らないで、でもへこたれないで。(2018年7月)
はい!Good luck to me!
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