旅が好きだった。
大学時代や20代の頃は、旅の資金を貯めるために働いてた。
両親が旅好きで、小さい頃から、夏休みと冬休みは、父の職場の社員寮へ。
夏は下田か大磯で海かプール、冬は苗場か蓼科でスキー。
今思い出したけど、小学5年生のときに、初めて万座に行く予定だった年末年始。
なんと出発の日に、突然40度の熱を出してしまい・・・隠してたもののばれてしまい、(昔、扁桃腺が肥大してたせいでしょっちゅう高熱出してたこともあり、ぐったり感はなし。おそらく、顔が赤いってんで発熱を気づかれたはず。ちぇ。)
母は私につきそいお留守番、父と妹で万座でスキーを楽しんできました。
当時(35年前)、うちから歩いていけた唯一のスーパー、東急バラエティストアは年末と三が日は完全に閉まっていたし、言わずもがなコンビニなんて存在しないしで、なんか家の食材を必死で探して食いつなぎました。
母は、発熱中の娘ととくにできることもなく、うちに1台あった14インチのテレビ番組を探してくれて、彼女チョイスで、ずーーーーっとほんとに連続8時間くらい、時代劇(たしか北大路欣也が出てた)なんかを見てました。
あんな小さなテレビを、3メートル離れた場所に配置されたソファーから、なんの疑問もなく見てた40代の両親の視力って、すごいな。
おかげさまで、妹とともに視力はサハラ砂漠でも暮らしていけるレベルで、3年前にアメリカ来る時のビザのために受けた視力検査では、両眼2.5でした。
アメリカで初めてのロードトリップ!
・・と、前置きが長くなりましたが、アメリカに来てから、なんというか、広すぎて、なにをどうしていいか決めきれず、旅に出たい気持ちが失せてました。
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そんな中、先月、夫と、ちょっと週末旅に出てみようぜ!、と、夫の生みの父(私は会ったことがない)に会いに、ワイオミング州に行こう!といさんで、電話してみるも、「コロナでこわいから、今は会えない」と。
そっか、そりゃそうだね、88歳と高齢だしね。
(中省略)
その後、モンタナ州に住む、夫の叔母さん夫婦と、育ての父(私は彼にも会ったことなし)を訪れることに。
彼らの事情で、電話した2日後に出発することに。
飛行機で行くことしか考えてなかったんですが、「コロナがこわいから飛行機は避けて、車で来てね。」とのこと。
まじかー片道20時間はかかる!
初のロードトリップ。
車のメンテナンスをまずせねば、と慌てて修理屋に飛び込み、道中2泊するホテルが予約できて、ほっ。
「ロードトリップ!」とかって、なんか楽し気な表現ですけれど、小さい頃は、車酔いがひどくて、家から箱根までの1時間も耐えられず、2回は休憩して、新鮮な空気を取り込め!と両親に辺りを走り回らされてた私。
さらに、私は運転しないし、夫は運転大嫌いだし・・・・。
ほんとに大丈夫なのかしらん・・?!
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