日本語で無料で学べるgaccoというオンラインプログラムの、東北大学が提供してる、死に関する講座「memento mori-死を想え-」を見終わりました。
内容は、1.死とは何か、2.死者と生者の接点、3.日本人の死生観、4.社会変動の中の死の文化。
内容も面白かったですが、語ってる先生がとってもチャーミングかつ情熱的に研究してる姿勢が伝わってきて、見てよかったなあ。
さて、一番印象に残ったのが、「人は死んでから一周忌までは、不安定であり、荒ぶっている状態である。つまり、死んだばかりで、どう死んでよいか分からない。その後、一周忌とか法事をすることで
、安定していく」
「亡くなった人は、不安定期を超えて、祖霊化過程(歳をとってから亡くなった人は早めに安定)を通り、33回または50回忌以降には、守護神的な存在になる。」
というのが、日本の一般的な習俗だそう。
ちょっとここ最近、急遽モンタナ州への引っ越しを決めたこともあり、来年3月の父の一周忌に日本に帰れるかしら?モンタナ州、3月までは豪雪だそうで、飛行機飛ぶかな~なんて思ったりもしてたんですが、これは、帰って父の冥福を祈らねば。
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生来、ネズミ並に落ち着きなく多動症だった父のことだから、まだまだどこかでウロウロしてる気がする。
「心配だから」とか言いながら、楽しいことを見逃さないよう、時代に乗り遅れないように、と目を皿にして練り歩いてる姿が思い浮かぶ。
あとは、1976年頃から病院での死が自宅を上回り、現在では、都市部での院内死は80%以上ですって。
家で亡くなるということがどういうことなのか、なかなか想像できなかったんですが、日本でお家にお見舞いに行った幼馴染のお母さんが、先日、家で息を引き取ったという話を聞きました。
激痛がひどい、とかでなく、面倒を見てくれる人がいる環境であれば、家で亡くなるのは可能なんですよね。
そして、日本では、タブー視される死、として、本人に真実を告げない事象が起きていたということ。
この話を聞いて、27年前に癌で亡くなった母方の祖母を思い出しました。
祖母は、最後まで、癌であることを知らされずに、亡くなりました。
私としては、真実を告げないということに、ものすごい違和感を持ってました。
誰のために、本人に真実を告げないという方針が取られたのだろう?
祖母は、「熱海に行きたい」と言っていたけれど、「もう少し良くなってから」ということで、結局、行けず。
その後、ついに治療がなくなった状況で、「良性の腫瘍だから、じきに良くなる」とか言われても、自分の身体が良くなっていくのか悪くなっていくのかを一番感じてたのは、本人だったはず。
いくら自分のためとは言え、嘘をついてる医者や家族に対して不信感持ってたんじゃないかな。
あと、講座で紹介されてたこの本、読みたい。
岸本英夫(宗教学)1973年
渡米中に癌発見「死を見つめる心 癌とたたかった10年間」
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