日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父よ、あの世でも頑張って!(お肉あげるから)

664
日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父よ、あの世でも頑張って!(お肉あげるから)

なんだか朝からお腹が痛いなあ~、なんだろう?

そうだ!腹筋だ!
外を散歩するのも少し控えようと、家でストレッチをするついでに腹筋100回したんでした。

痛いというのは、効果出てるってことなんですかね?そう信じよう。

さて、今日は、アメリカのがんセンターでナースプラクティショナー(上級看護師)として働いている友人のブログを読んで、父の死について思ったことを書いてみます。

「末期」というのは、どういうことなのか?


膵臓癌を11月に再発した父は、年を越せることはないだろうと思っている中、まさかの1月8日に退院してきました。

関連記事:
・日本に帰国中 膵臓癌の父が突然、退院~からの介護スタート!
・日本に帰国中 膵臓癌父の退院日の様子はこんな感じ

「もう、いつ何が起きてもおかしくない状況。感染症にかかったらそっこー死んでしまう」と、認識していたつもりでしたが、毎日バタバタしていたこともあり、なんだかよく分かっていなかったんです。

ナースプラクティショナーの友人には、すい臓癌になって手術をすることになった、再発した、放射線治療が効かない、など、状況報告をしつつ、アドバイスをもらっていました。

ほんとに、最前線の癌センターに勤務している彼女からの、あたたかい激励や、冷静なコメントには、いつもいつも励まされてきました。
ありがとう!!!

さて、やり取りの中で、「残された時間を、少しでも家族で一緒に過ごせるといいね」というメッセージを受けたときに、初めて、「あ、そうか。やっぱり、父はそういう段階にいるんだ」ということを、強く実感しました。

妹にも、友人からのメッセージを伝え、「気を引き締めなくては!」とうなずき合い。

父の担当医に、余命を聞いても、「なんとも言えない」という、名言を避ける返答でしたし、一度も「末期」という言葉は出てきませんでした。

ちなみに、母は、分かってか分からないでか、「もう少し元気になるといいんだけどねー」を繰り返していました。
(いや、もう、“元気”になることは、ないのよ。と心でつぶやく。
お願いだから言っても無駄なことを言わないでくれ。
こういう認識のズレが、意外にものすごくストレスになってました。)

ただ、そういう私にも、最初はかなりとまどいがありました。

12月に医師から見せられた写真では、少なくとも、すい臓癌がグングン拡大してることはない、という説明。再発した11月より1割拡がったという話でした。

退院の翌日に、父の担当になったケアマネージャーさんとの打ち合わせの後、こそりと呼ばれ、「あれ、病院からは“末期癌”という話を聞いたんですが、ちょっと認識が違いますかね。」と、言われたときには、つい反射的に、「末期かどうかは分からないのですが、もう病院には戻らず家で看取るつもりでいます。」と答えました。

医療関係者の言う“末期”が、どのような状態のことを指すのかよく分からなかったのです。

その後、父と一緒に家で過ごしながら、「癌の状態的には末期ではないけれど、7月に手術をして膵臓と胃の半分と腸の一部を切り出した後、食べることができなくなってしまい衰弱しているこの状態全部をひっくるめて、末期なのか。」と、自分なりの解釈をするにいたりました。

父には、「癌はさておき、少しでも食べて体力をつけて、車いすに座ることができさえすれば、外に出ることも可能だよ」と、励ましてみました。
が、あの不屈の精神を持つ父ですから、自分の精一杯を持ってしても、体力をつけるということが不可能だったのでしょう。

父はやりたいことはすべてやりつくして死んだのか?


これが、また、なんとも受け入れたくない感じもするとこなんですが。

訪問看護師さんに、「今、やりたいことは何ですか?」と聞かれたときに、「そうね、外に出て、オペラを聴きに行きたいな」と答えていた父。

(ここで今思い出しましたが、退院してきたころから父は、かわいらしいというか妙に丁寧なしゃべり方をしだしました。
生来の負けん気がむき出しになって、自暴自棄になって暴れたり、イライラして暴言を吐いたり、と、攻撃的になるんじゃなかろうかという私の予想の真逆。
これは、本当に嬉しい誤算でした。)

部屋で音楽をかけることは、何度提案しても拒絶していたことから考えると、ただ鑑賞するのではなく、「もう一度おしゃれをして華やかな場に身を置いてみたい」、ということだったんだろうなあと思います。

「やりたいことはやって、幸せな人生だったわよね」という声も聞きますが、私的には、まだまだやりたいこがあって、本当に無念だったろうなあと、思います。

父の、やりたいことはすべてやってきたと傍から称される人生の中で、無念に思っていたことの一つに、「お母さん(私の祖母)ともっと一緒に過ごしたかった。田舎から逃れさせられなかった」ということがあります。

それは、来世でぜひとも実現することでしょう。
今日も、肉をあげるから、父よ、頑張れ!!

関連記事:
・日本に帰国中 父が大好きだった太陽のようなお母さん
・日本に帰国中 膵臓癌の父が突然、退院~からの介護スタート!
・日本に帰国中 膵臓癌父の退院日の様子はこんな感じ