アメリカ生活 ワイオミング州の元日系人強制収容所ハートマウンテンを訪れた

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モンタナ、今年は夏が始まったのが7月入ってからだったこともあり、まだ夏日です。イエイ!

先週の水曜日から土曜日まで、モンタナ州の南隣にあるワイオミング州の、バッファロー(人口4,500人)とコーディ(人口1万人)という町に夏休みで行ってきました。

バッファローには、夫の産みの父マーク90歳が1人で住んでいて、今回やっと会うことができました。

40年以上前、アメリカ政府の仕事で、2年間ナバホ族の居留地で過ごしたときにもらったという小さい人形をもらいました。(ナバちゃんと命名)



裏も可愛い



彼の双子の妹モニカが7月にうちに遊びに来たときに、ビールとワインを堪能しててびっくりしたんですが、マークも、スコッチかワインか。

この日のバッファロー、猛烈に暑くて、お昼からキリっと冷えたロゼを美味しくいただきました。

さて、バッファローで2泊して、最後はコーディという町へ。

これがまたすごいたまたま、何の気なしにパラパラめくってたフリーマガジンに、「ワイオミング州のハートマウンテンの元日系人強制収容所」に関するページ↓を発見。



えーワイオミング州に強制収容所があったとは!

というか、どこに収容所があったんだろうか?と調べてみると、カリフォルニア州、アリゾナ州、アーカンソー州(この州名、初めて聞いたかも。アメリカ広し。)に2つずつ、アイダホ州、ユタ州、コロラド州、ワイオミング州に1つずつ、計10か所。

ワイオミング州の強制収容所は、4番目に収容数が多かった。

これは行かねば、と、夫の父訪問の後にこの収容所の最寄りの町、コーディで1泊することに。


今回改めて知ったんですが、真珠湾攻撃の後、アメリカがアメリカ全土の日系人が収容されたわけじゃなく、西海岸(ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州、アリゾナ州)と、ハワイ一部に住んでいた人たちが対象でした。

というのは、日本による真珠湾攻撃の後、米国陸軍は、西海岸を軍事地域に指定しました。

陸軍は、日本と戦うことになれば、西海岸の日系人が日本を助ける可能性があるという見解だったため、12万人の日系人に立ち退きを命じたのです。

なるほど、だからモンタナ州に住んでいた日本人は強制収容されなかったのね。
(モンタナ州に移民してきた日本人たちのインタビューを読んだのですが、戦中に収容されたという話はなくて、ちょっと疑問に思ってました。)

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さてさて、この日は、前日30度越えぴーかんからの、突然朝から雨で気温14度。

暗い歴史を学ぶのにふさわしく、どよーんと寒い日でした。





ここで紹介されてた、「セツコの秘密 Setsuko’s secret」という本を注文しました。

わたしの母もセツコさんなんで、興味ひかれ。

このセツコさん、どんな人生だったんでしょうか。

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