最年少でノーベル平和賞を受賞したマララさん、どうやって育ったら、マララさんになったんでしょう。
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とても影響を受けたというお父さんは、いったいどんな人物なんだろうか?
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ノーベル平和賞を受賞したマララさんのお父さんはどんな人?
マララさんのお父さんのスピーチも名言もりだくさん
(日本語字幕付き!)
と、はじまりから衝撃&感動的なこのスピーチ。
経験がないどころか、想像もしたことがなかった。
”良い女の子”として求められるのは、とても従順なこと。
嫌だろうと何だろうと、黙って、男性の意見を受け入れなくてはいけない。
そして、この母親が、また、「服従」が重要だと娘に教える。
こうやって悪しきサイクルが果てしなく続いていくのです。
何百万人の女性のこのような窮状を変えるには、「違う考え」を持つことです。
男性と女性がこれまでの考え方を変えること。
マララが4歳半のときに、私が経営する学校への入学を認めました。
私が女児の入学許可についてあえて触れるのを不思議に思われるでしょう。
アメリカやカナダをはじめ多くの先進国では当たり前のことかもしれませんが、貧しい国々や家父長社会では、就学するということは、女の子がはじめて、自分のアイデンティティや名前を認めてもらえるということ。
私には、5人の姉妹がいますが、1人も学校に通っていません。
さらに、苗字を思い出せない姉妹もいました。
なぜなら、名前が書かれた書類を見たことがないからです。
こういった理由から、私は娘を大切にしました。
私の父が、彼の娘たちに与えられなかったもの、これを変えなければと思いました。
私は、マララが幼い頃から、彼女の聡明さと知性を大事にしてきました。
私の友人が来ると、娘をそばに座らせ、様々な会合に一緒に連れて行きました。
これらの良い価値観が、彼女自身に根付けばと願いました。
私が、自分の学校の女子学生に教えたのは、服従の教えを学ばないこと。
男子学生に教えたのは、偽りの名誉の教えを学ばないこと。
マララが生死の境をただよっているときに、私は妻の耳元でつぶやきました。
「娘に起こったことは、私の責任だろうか?」
彼女はすぐに、
「どうか自分を責めないで。
あなたは正義のために立ち上がり、平和や真実のために教育を求めた。
そんな姿にインスパイアされて、娘は後に続いた。
2人とも正しい道を歩んだのだから、神様はきっとマララを守ってくれる」
この言葉に勇気を受けて、自分を責めることは2度とありませんでした。
マララが病院で耐え難い苦痛を受けているときに、妻の顔にも暗い影が差しました。
そんなときでさえ、娘は一切不満は言わず、逆に私達をなぐさめ、癒してくれました。
私たちがマララから学んだのは、最も困難な時でさえ立ち向かっていく力です。
よく聞かれます、「どうやったらマララみたいに勇敢な娘を育てられたのか?」
私は、こう答えます。
「何かをしてあげたのではなく、あることをしなかったおかげでしょう。
彼女の”翼”を切り取らなかった。それだけです。」
マララさんのお父さんが書いた本を発見!
パキスタンでは、「変わってる」「変人」「普通ではない」だったことでしょう。
こういう風に、伝統や社会常識、ということで、疑問を持たずにそのまま受け入れる人と、いやこれはおかしいだろ、と疑問を持つ人って、どうして?
WH Allen