アメリカ生活 モンタナの小さな村ハーバーにあった日本人墓の謎が判明

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アメリカ生活 モンタナの小さな村にあった日本人墓の謎が判明

モンタナ、熱波がきてて、今日は最高気温35度、最低気温19度でした。

ビールが旨い!これもお気に入りの濁りビール、ヘイジー。



とはいえ、今週1週間は夏休みで、今日はずーっと家に閉じこもってたので暑さに気づきませんでした。

うちもクーラーないし、たぶんクーラーない家が多いと思うんだけど、暑さに弱い人たち、熱中症になってしまったんではないだろうか。

そんな熱波にやられてる中、仕事から帰ってきた夫がおもむろに、「昨夜ウォールマート店内で銃撃があったんだって。この町も危険になってきたね!」と。

なぬー まじか。状況とか詳細はニュースに書かれてないけど、何?暑さ??怖すぎる・・。

モンタナ州のハーバーという村で見つけた日本人の墓について

さて、そんな怖い事件のことを知らない間に、モンタナの小さな村ハーバーで見つけた日本人のお墓に関する情報を見つけました!

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モンタナ大学の図書館のウェブサイトに、1998年に実施された、「極東から米国へ:インタビューによる歴史プロジェクト」という、中国人と6人の日本人の移民へのインタビューが掲載されていて。

この6人の日本人の中で、モンタナ州のハーバーに住んでいた(る?)、日系3世のリック・ハラダさんと日系2世のベン・ハラダさんのお2人のインタビューについて書いてみます。

リックさんは、1900年代初めに、お祖父さんとお祖母さんがハーバーに来て、鉄道会社で働いていました。

鉄道会社に人材派遣をする、オリエンタル・トレード・カンパニーという斡旋会社があって、お祖父さんとお祖母さんは日本でその会社に登録し、モンタナに来ました。

この時期には、日本を含めていろんな国からアメリカに来て仕事を得て、稼いで、自国に戻っていました。

当時、ハーバーには、たくさんの高齢者(日系1世)が住んでいました。

その人たちは、その後日本に戻った人、戻らずハーバーで亡くなった人、他の州に引越した人、とさまざまでした。

Hope Cemeteryという日本人のお墓へは、祝日などに墓参りに行きました。
(※これ、わたしがこないだの旅行で見つけた墓!!!↓)

アメリカ生活 モンタナの小さな村ハーバーで明治時代の日本人のお墓を見つけた

手入れがされてなくて、雑草を抜いたりしましたが、子どもだったので、荒れた墓掃除をするのは怖かったことを覚えています。

何人かの日本人は、ハーバーは寒すぎて耐えられず、アイダホ州に引越したりしてました。

そこでは、たくさんの日系アメリカ人が他の州から移住して、じゃがいもや甜菜(てんさい)や豆の畑を営んでいました。

ベンさんは、お父さんが1900年代初めに、モンタナ州のハーバーに来ました。

最初は鉄道で働いていて、その後、タイヤ店、いくつかのレストラン、魚店を開くなど、様々な仕事をしていました。

第二次世界大戦のときには、ハーバーにはたくさんの日本人家族が住んでいたとのこと。



むー、日本から、明治時代に、出稼ぎ的にアメリカのモンタナ州にはるばるとやってきた人たちがいたって、すごい衝撃的。

日本から船で、シアトルあたりに着いて、そっから1,200キロを馬車でゴトゴトと移動したってことよね。

そして、気候が合わないから、と、アイダホ州に引越していく、とか。

昔、日本国内で、東北地方の農家では、冬の間農業ができない期間は、東京とか大都市に出稼ぎに来ていたという話を聞いて、そうか、新幹線もない時代に、大変な苦労だったろうなあと。

さらにさかのぼると、江戸時代の参勤交代とか、ものすごい移動距離だし、よくやってたなあー、と。

こういうのをはるかに超えて、日本からモンタナに出稼ぎに来たんですねえ。


このプロジェクトに関して、インタビューの他に、「極東(中国と日本)から米国へ」という動画も見つけました。(日本人の移民に関しては14:20あたりから)

ちょっとした当時の写真付き記事も。

あとは、ハーバーの後に行ったフォート・ベントンの博物館でたまたま見つけて買った本にも、モンタナ州の鉄道会社や砂糖会社で働いていた日本人についての記述がありました。


今年ももうすぐお盆と終戦記念日ですね。

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