アメリカ生活 本当に相手のためになるフィードバックをしようと決めた件

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アメリカ生活 本当に相手のためになるフィードバックをしようと決めた件

ヨガ仲間のウーシャから、何回か彼女が担当したヨガのクラスについてのフィードバックを求められてました。

テキストがきたり、オンラインで話したときなど、5回くらいか。

正直、彼女のヨガクラスには要改善点がいくつもありました。

まず、カメラの角度が合っていなくて、ヨガをやっている姿がよく見えない。

説明が非常に少なくて、早口のため、聞こえずらい。

動きが早すぎて、せわしない。

などなど・・。

オンラインじゃない場でやってるときには、まあ見えないということはないし、説明が聞こえなくても、姿が近くで見えるので真似してればいい。

説明を聞きたければ、ちょっと質問すればいいし、早すぎたら、「早いー」と言えばいいし。

が、オンラインになってから、双方向のやりとりがほぼなくなってしまい、受講者は音声は消しているため、発言することがなくなりました。

メンバーも、顔見知りだった人たちが減り、新しい人たちが主になってきたため、より一層、講師の動きを遮って質問したり「もう一度説明してください」とか言いづらいというか、言う人は皆無です。

そんな状況で、ウーシャにフィードバックを求められましたが、「わたしはウーシャのクラス好きだよ!いいと思う!強いて言えば、カメラによく映ってないときがあるから、新しい人は動きが見えなくて、とまどうかもしれないかな。」と、今思うと、なんとも甘いコメントを繰り返してました。

彼女が受け持ったクラスで、最初私含め5人参加していたのが、途中から何人か抜けてしまい、最後は私ともう1人だけになってしまった時にでさえ。

先週木曜日に、ちんまり始めた定例的にやってるウーシャとのヨガ時間で講師をした私に対し、一切褒めることなく、改善点のみをびしっと指摘されました。

1.呼吸法の説明のときに、「お腹を締める」という重要な説明が抜けていたから、追加して。
2.時間が10分足りなかったから、何が何でも時間は守らなくてはダメ。
  (現実的には、ウーシャをはじめ他の講師も時間は結構アバウトなんですけどね。)
3.レッスンの最初と終わりの歌は、発音が変だから、英語で意味を説明するだけにする。または、サンスクリット語の発音を先生に習ってからにすべき。

なんというか、こういうフィードバックって、久しく受けてなかったなあ、としみじみと感じながら、聞いてました。

最近(?)日本ででもアメリカででも、なんか「まずは褒める!褒める点を探す!」というフィードバックしかしていなかったことに気づきました。

ウーシャに、「次はいつクラス持つの?」と聞いたところ、「もう持たないの」と。

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「ヨガの先生から連絡が来て、ウーシャが受け持ってるから少ない受講者しか参加しないから、違う人に受け持たせる」と言われたとのこと。

「えー、私が昨日受けたクラスだって2人しか受講者いなかったし、そもそも受講者は事前に講師が誰か知らないから、それはウーシャの責任じゃないじゃん」

「そうだよね、でも、私はダメなんだと思う。先生には何度も動画を送って、フィードバックをしてくれと頼んだんだけど、1回も返信がなくて」と、怒りと悔しさの混じった表情で。

ここで、私はほんとに後悔しました。

彼女は、常々、「アメリカ人は信用ならない。スウィート・カプセルだから。(←彼女の造語)

表面的にはニコニコいいことばかり言うけど、決して本音は見せない。」

彼女の言う”スウィート・カプセル”とは、周りが甘くコーティングされた苦い粉薬、みたいなイメージらしく、ほほー言いえて妙だなあ、と、夫との会話にも活用してます。

彼女から受けた、もろに”改善すべき点”を考えながら、彼女へのフィードバックはまさに私はスウィートカプセル的対応だったなあ、と猛省。

もちろん相手や相手の状況によりますが、本当に相手の成長や、物事の改善につなげたいときには、甘い言葉だけでなく、びしっと指摘することも念頭に入れた上でフィードバックをしよう、と決めました。

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