日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父と交流のあった方々と話して、思うこと

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春爛漫。
これを天国というのか!と、自由・解放・快適感を満喫した葉山での1週間を終え、世田谷の両親の住処(父が亡くなったから、母の住処)に、昨日、戻ってきました。

い、息苦しい・・・。

何かと気ぜわしい東京だからか。

寝たきりになった父と3カ月過ごした場所だからか。

幼少期から合わない母と2人だからか・・・・・。

なんてことをつらつらと感じつつも、先々週に、今の賃貸マンションでは、父から母へ名義変更をすることができず、さっさと退去しなくてはいけないということを知り、マンション探しをしてました。

もろもろラッキー!が続き、無事に母の次の住処を決められました!
今の家から徒歩10分。
部屋の広さは今の賃貸マンションのちょうど半分。

いやーほんとに、よかったわ~~。

父も一安心してるはず。
(なんかしら一言口を出したいだろうが、残念、時すでに遅し!)

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銀行の担当者の方から父との思い出話を聞いて、ほっこり

さて、マンション見つけた後、銀行の担当者の方との打ち合わせ。
父の相続関係でうちに来てくれました。
(もちろん、営業兼ねて)

「お父様が亡くなったという連絡をいただいて、びっくりして2人で涙を流したんです」
「本当に、いつも笑顔で優しくて、お話が楽しくて」
「昔のお仕事の話も、面白楽しくしていただいて、たくさんお聞きしました。
取材中に、人質になったときの体験談が、一番印象的です」

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30代のお2人が、一生懸命、父との思い出話をしてくれてる姿を拝見しながら、「大人になってから、まともに、”話した量”は、銀行員のこの彼女たちとの方が、私との会話量より何倍も多かったんだろうな~」と、感慨深し。

私は、父と、まともな話を、じっくりと、したことがない。
旅先で、なんだかご機嫌に食べ歩きしたり、面白い物見つけてギャーギャー笑ったり、我さきにくだらないギャグを言い合ったりはしてたけど、父の過去の話とか今の話とか聞いたこともないし、私の過去とか今の話とか、挨拶程度にしてたくらい。

性格なのか人格なのか何かが非常に似ていて、そんなことを秘かに感じながら、真剣に語り合おうと試みながらも、ちゃんちゃらおかしくなってしまって、ギャグにしてしまう2人だったのかも。ぶつぶつ。

こうしてわざわざ、来てくださったお2人は、半分営業目的だとしても、半分はもしかしたら本当に父といい時間を過ごしてもらえたのかもしれない。

ありがとう!(誰への感謝なのか分からんが)

父の会社の元部下→後に友人関係を築いた一朗さんから、電話がきた(ほっこり)


その後、元々は父の後輩で、仲人をして、私の父母と先方のご家族ぐるみで仲良く過ごしてきた方(私は接点なし)から、電話をいただきました。

「もーのーすーごーく早口で、私がが話してる上からガンガンかぶせてくるの~!」という話を、やり取りしてくれてた妹から、(我が家風に、彼の話ぶりのものまねつきで)聞いてました。

母とひとしきり話した後(彼の声は大きいから丸聞こえだった)、なぜか私にも電話で話したいということで、初電話。えーっ。

「こんばん(は)」

”は”を言い終える前に、妹のものまねどおり、

「あ、豆ちゃん、アメリカ、無理でしょ、しばらく。アハハ。もう、こうなったら、仕方ないね。お母さんと一緒に、(ね)」

生来の早口を数年かけて矯正してきた私ですが、こうなってくると、とめられず、

”ね”、の前に、

「いえ、それは、避けたいところなんです。母が甘えてくるので、それは彼女にとってもよくない(から)」

一朗さん、”から”にかぶせて、

「でも、Kenさん、亡くなってからまだ2週間なんだよね。コロナ騒動なのか、なんかバタバタしてて、もう随分前の話みたいな感じも(するよね)」

私もだんだん、生来の自分の話し方が引き出されてきて(ほろ酔いだったってのもあり)

「ちょっと、父との思い出話をお聞きしたいので、今度またお電話で(お話したく)・・・」

「そうね、そうそう。でも、ほんとに、なんでも、困ったことがあれば(言ってくださいね。)」

「はい、ありがとう(ございます)」

「じゃ、ま(た)!(笑)」ガチャン。

大声でガンガン話し、さらに、自分が話し終える前に、自分で電話を切る一朗さん!すごい!

しかし、なんだろう、この、明るい勢い。

「ちゃんと、聞いてます?」
「人の話をさえぎらないでもらえません?」

と、心でつぶやきつつ、真似っこ子ザルで早口&大声だった私。
「早口過ぎて分からないから、もう一度、ゆっくり音読し直して!」と言われ続けていた小学生の頃を思い出して、くすっ。
そっから、はい、私は頑張って矯正しました。

だけど、別に、猛烈に早口で、怒涛のように自分の言いたいことを言い放ち、相手を慌てふためきさせながら、こうやって60歳までふつーに(ふつー以上に成功して)生きてきた人も、いるんだよな。ぶつぶつ。

なにはともあれ、ほんとにほんとに、嬉しい電話でした。

自分が何ができる(doing)か分からないけど、「困ったことがあったら、いつでも、なんでも言ってくださいね。(私はここにいます(being)から)」と、私も、周りの人に、言ってあげたいところ。
(Human-being。Not human-doing)

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