日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父との思い出の場所は、パリでもオペラでもない

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日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父との思い出の場所は、パリでも北京でもオペラでもない

父は、11月に膵臓癌を再発し、12月にもうこれ以上できる治療がなくなってしまい、緩和ケア病棟にうつるか家に帰るか、という状態になりました。

ここで、ほんとに勝手にさっさと年明けに退院することに決め、バタバタと(バタバタしたのは周りの人間たち。父はぐったりと)退院してきました。

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当時は知らなかったけど、「為さざる罪」は彼の座右の銘であって、私の座右の銘ではない!ぶつぶつ。

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介護って、自分がやることになるとは、これっぽちも想像してませんでしたが、きれいごとではない。
とにかく、文字通り、「うんちとおしっこ」でした。



父と過ごした1番の思い出の場所は、パリ!ではない。まずは、トイレ(というかベッドか)

日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父との思い出の場所は、パリでも北京でもオペラでもない
父が、頑張っていた場所。
私も、頑張っていた場所。

ある朝、カーペンターズのベルが鳴ったので、飛んでいくと、どうやら尿瓶を使っておしっこしたら漏れてしまって、シーツや着替えをしなくてはならくて。
病院では尿瓶を使ってなかったようで、「うまくいかないんだよね・・。違うのないかなあ?」とうなだれる父。

「むむー。気合でベッドの脇に座って、尿瓶を下から持ち上げてみたらどうかしら?」
と、よく分かんないけど、尿瓶の使い方をあみだして父に提案→なんと、うまくいったみたいで、もりもり使い始める。

うんちも、神経麻痺させる薬を飲むと、出てるんだか出てないんだかわからなくなってしまう。
訪問医からは、「とにかく便秘には気を付けてくださいね。」と言われているので、「出ないよりは全然いいから、よかったね!」てな感じで、濡れタオルを持ってくる。

今、正常な生活に戻ったから、こうして書いてると、ほんとに私たちは家でそんなことを自然にしていたのか?

まあ、とはいえ、もうあきらめて、おむつでうんちしちゃってもいいんじゃないか、と思ってこっそりちょっと厚めのおむつパンツを買ってくるも、父は断固拒否。

(そうなのか?もう、いいじゃんせめて夜くらい、と思いつつ、仕方ないからクローゼットにしまいこむ)

車椅子でトイレに連れていくときも、びっくりするくらい細かく、「もっと右!」「ぶつかる!」「もう少し後ろに下がらないと曲がり切れない!」

「ちょうど足の運動になるから、自分で進めてみてね!」と何度か促しました。

トイレのドアを開けるのは、手指が痺れまくってて、できない。
ドアを閉めるのも手では無理だから、足でけって閉めてる。

何気に、この、足で蹴って閉めてる姿を見るのが好きでした。

自分でやらなくても、いいこと。
だけど、それをきちんとやる。

ちなみに、毎回トイレットペーパーを使ったら最後の部分をきれいに巻きあげてロールの中に差し込んでから棚に置いているのも、印象的でした。

(今回初めて知ったんですが、父と母は、それぞれ自分好みのトイレ紙を使っていて、母のは普通にホルダーに入ってて、父のは棚に置いてありました)

父との2番目の思いでの場所は、洗面所

日本に帰国中 膵臓癌で亡くなった父との思い出の場所は、パリでも北京でもオペラでもない
夜、寝る前に、洗面所で、「ビューティータイム」!

歯を磨いて→ひげをそって→ホットタオルでぬぐって→保湿ローションを塗る

家にいた1月8日から2月27日まで、ほぼ毎日行いました。
普通、この状態の人で、洗面所で自分でする人はいない、と病院で驚かれてました。

(最初の頃は、歯磨きを面倒がってたんですが、看護師さんに、「歯磨きは肺炎予防になるので、ぜひしてくださいね!ベッドででも」と言われてから、俄然がんばりだしました。
生きたかったんでしょう。)

もちろん、最初は、どうするか?試行錯誤。
幸い、ものすごい勝手に退院を決めた父ですが、柔軟性は高く、とりあえずバタバタ準備した介護用品などについても、「とりあえず始めてみてさ、少しずつ改善しながら整えていこうよ。」との言葉に、いつも救われる。(←と、その日の私の介護日記に書いてあった)

さて、洗面所が車椅子仕様になってないから、車椅子から小さな椅子に移らねばならなくて。

車椅子に座るのにも、めまいで5分くらい休まなきゃいけない状態だったのに、一瞬とはいえ、車椅子からいったん立ち上がって椅子に座るのは、全体力を振り絞ってのものすごいことでした。

父のうんちおしっこ騒ぎに巻き込まれる中で、ここに、”生物”としての生き様があらわれたように思います。

なぜにして「最後まで、できることはやる」姿勢を貫けたのか?

やはり、座右の銘「為さざる罪」だったのでしょう。

この言葉を、川上さんに教えてもらって、すべてが繋がってきました。
感謝感謝。

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