アメリカ生活 幸せを感じる瞬間ってどんなとき?~時間を忘れた祖父母宅での夏休み

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幸せを感じる時間ってどんなとき?人によって違うってことに気づいた夏の日

夏真っ盛り。

先日たまたま子供の頃の写真を見つけ、福島県にあった祖父母の家で過ごした夏休みを思い出しました。

古い一軒家の、風が常に抜けてる縁側のある8畳の部屋で、祖母と妹と私で写っている写真。

私は6歳、妹は4歳。

祖父母の家の周りには、なんというか、何もありませんでした。

森や林、海や小川などの自然はなく、田んぼも畑もなく、アスファルトで舗装されてはいるけれど、高いビルはなく、ぽつんぽつんと家や化粧品屋さんや飲食店が数件ある程度。

今思えば、当時40年近く前から、過疎化していた町でした。(たぶん)

毎年夏休みには、1週間位そこで過ごしていましたが、やっていたことといえば、部屋で本と漫画を読むか、ほんとにたまに自転車で外に出かけるか。
(なぜか祖母や祖父と会話をした記憶がないんですよね・・)

朝起きて、布団を片付けて、夏でもものすごく冷たい水でぱちゃぱちゃと顔を洗い、お勝手で、物で埋め尽くされた食卓で軽く朝ごはんを食べた後は、縁側の部屋で読書タイム。

読書に没頭

その後、そそくさとなにかしらお昼ご飯を食べて、暗くて字が読みにくくなるまで時を忘れて本を読み耽っていました。

6歳頃は、伝記にはまっていて、モーツアルトやシューベルト、ベートーベン、ヘレンケラー、サリバン先生、ナイチンゲール、シュバイツァーなどなど、世界の偉人の本をコレクションしてました。

そんな私に、祖母が夏生まれの私の誕生日に買ってくれたのが、良寛の伝記。
本の表紙は、歳を取ったお坊さん(良寛)の絵。

良寛

「やはり歳を取った人(祖母)は、老人の話が好きなのか」と、(おそらく今で言うなら「なんか“渋い”セレクションだなあ」)とぶつぶつつぶやいた、6歳の夏。

さて、そんな幼少時代の、時間を忘れて本を読み耽った時間は、“私にとって”至福の時だということに気づきました。

今までも、周りを忘れて1つのことにぐっと集中している時間は心地よく、それゆえにサーフィンにはまったと思っています。

サーフィンも、波に乗るときに、乗ること以外のことー例えば、「今日の夕飯何にしようかな」とか、「明日の打ち合わせ何時だったかな」とか頭で考えていると、もたついてしまって波に乗れません。

ただ、人類共通して誰もがこういう時間に幸せを感じるもんだ、と思ってたんですが、どうやら違うということを知って驚きました。

「何か1つのことに集中している時間よりも、むしろ、五感を研ぎ澄まして色々な物を感じたり見たり思いを馳せたりする時間に幸せを感じる」と妹。

私からすると、そういう時間って、色んな記憶が頭の中に甦ってきたりしていて、落ち着かないしむしろ心地悪さを感じることさえあります。

中学校2年生の文集(たぶん・・)の、”将来の夢”のページに「幸せに暮らしていたい」って書いた私。その後、時に触れ、”幸せに暮らす”ってなんだろう?って、自問自答しつつ、いまだに見つけられない。(アホ・・・?良く言えば、のんびり屋さんか。)

40数年生きてきて、人間が幸せを感じる瞬間や時間って、人によって全く違うということを知った、真夏の日。

みなさんが、”幸せを感じる時間”、”幸せに暮らす”って、どんな感じですか?