日本に帰国中 膵臓癌父の介護生活ってこんな感じ(午前編)

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日本に帰国中 膵臓癌父の介護生活ってこんな感じ(午前中編)

11月に膵臓癌が再発し、入院してしばし治療していた父が、残念ながらもう治療がなくなり、退院してきてから、今日で47日目。

毎日、夜寝る前に、1日に何したか&感想をメモしてます。

今、見直してみると、「へー、こんなことしてたんだー。」「え、こんな感想書いてる。いいこと言ってるじゃん!」みたいな、かなり遠い日のような気分。

まとめてブログに書こう書こうと思いつつ、先延ばしにしてきました。

まとめないで、とりあえず、昨日、ぞろめ(令和2年2月22日)に何をしたか、書いておくことにしました。

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今日の生活(=生きるための活動)朝ご飯まで編

日本に帰国中 膵臓癌父の介護生活ってこんな感じ(午前中編)
突然ですが、「生活」って、生きるための活動なんですよねー。ぶつぶつ。

朝、4時30分に父の呼び出しベルが鳴りました。

このベル、ミュージック設定ができて、カーペンターズのイエスタデイワンスモアにしてます。
単なるブザー音でブーブー鳴るより、ウキウキ感あり。
我ながら、ナイスチョイス。

さて、父の寝室へ、飛んでいくと(って、ドア出て5歩)トイレに行きたい、と。
心底、ほっ。
激痛とかではなくて、何よりだ!

トイレに行くのには、まず、ちょっと離れた所に置いてある車椅子をベッド脇につける。
そして、父がベッドから車椅子に移る。
この時、低血圧からなのか低栄養からなのか原因は分からないけど、身体を起こすとめまいがするため、車椅子に移ってから2分間ベッドに頭を下げてつっぷして休憩タイム。

車椅子を動かしてトイレに到着し、トイレの中で、父が立ち上がるのをサポートして、便座に座るのを見届ける。
ここで、めまいのため2分間つっぷし休憩タイム。

低血圧といっても、上が100ある時もあるんだけど、めまいはとまらない。
なんなんだろうか。人間の身体の不思議。
日によっては、上が80しかないので、その時はしかたないよね、って思うけど。

トイレには、体育で先生が使ってたようなフエを置いてあり、終わるとフエをピー。

さて、無事にトイレは終了。

その後、意地になって9時まで布団に入るも、あまり寝られず。

のそのそ起きて、朝ごはん。
コーヒー(成城石井のフレンチロースト。うまい)と、冷凍バナナと豆乳スムージー。(ジューサーがないから、すり鉢&すりこぎでしこしこ作成。うまい)
プルーンやデーツを入れて毎日食べてたヨーグルトは、最近なんか寒いからお休み中。

今日の生活(=生きるための活動)昼ご飯まで編

日本に帰国中 膵臓癌父の介護生活ってこんな感じ(午前中編)

朝ごはんの後に、腸液を体外に出しているボトルにどれだけ出ているかをちょろっとチェック。
ほとんどカラ。
10ccくらいか。
病院からの指示では、1日に400cc-500ccが目標。
なので、本来だと、朝に180cc-200ccは出てるのが理想。

から、ガーゼの取り換えと、注射器で腸液を吸い取る作業へ。

退院してまなしに、腸液があまり出ずに、体内で少したまってしまい、38度5分の発熱。
慌てて、夜中に訪問看護師さんに来てもらったことがありました。

その後しばらくは、かなり神経質に、管をしごいたり振ったりして、なんとか少しでも液が流れるようにしてみたり。

看護師さんのアイデアで、注射器で圧を加えて、腸液の流れを促進するようになりました。
注射器なんて使ったことないし、最初は心臓バクバクでしたが、もう今では、ちょちょいのちょい。

そんなこんなで、朝起きるとともに、ボトルをどきどきチェックしてたんですが、先週から、管を通らずに、体に開けた穴から染み出してしまうようになり、ボトルに入る量が激減!

なので、ボトルに入っている腸液の量はもう、気にせず、朝と夜に穴の周りのガーゼを取り換えることにしてる今日このごろ。

処置が終わったあと、運動不足解消のために、力を入れてお風呂掃除をしたり、父のトイレタイムなど。

それからお昼ご飯に、昨夜の残りの炊き込みご飯のおにぎり2つと卵とじをペロリ。

13時に、訪問看護師さんが来られるのを待つ。

昨日の午前中は、こんなでした。

ザ・生きる活動。

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