アメリカ生活 ジブリ、白洲次郎さん、父、丸ビル勤務の祖母、からの今のアメリカ情勢をつらつらと

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近所のレンタルDVD屋さんで借りてきた、スタジオジブリの「風立ちぬ」で、俄然ジブリ熱があがり、「Only Yesterday」日本語では「おもひでぽろぽろ」を見ました。これも初めて。

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なにげに、DVD返却日の前日の夜に、全く見ずに返却するのはもったいなすぎる!と、1人でなかば意地で見始めたんですが、これがまた、すごくよくて。

時代設定は、1982年。
まず東京の風景がとっても懐かしい。

夏休みの毎朝ラジオ体操も、めちゃくちゃ懐かしい。

この、「懐かしい」という感情、なんなんでしょう。

実のところ、私は、「そんなに朝早く起きるな!ラジオ体操なんてくだらない」との両親の厳格な教えに従いつつ、こっそり隠れて1回参加しただけなんですが。

昭和の風景の他に私が感じたテーマは、家族の亭主関白の様(当時ではよくあった家族像なのかも。)、姉妹関係(とことん意地悪なお姉ちゃん達)、母娘達(まったく笑顔のない母親)、東京と田舎(山形)。

山形はまた、たまたま、大学のゼミの教授の出身地が山形県高畠町で、先生が建てた小屋で地元の農家の方々に農業体験させてもらったり、夜は日本の農業についてなど熱く意見交換をかわした思い出の場所。

当時まだインターネットやメールがなかったことに加え、大学卒業して数年後に教授が胃癌で急死されてしまい、その後、一切連絡が途絶えてしまいました。

一回、めちゃお世話になったおじちゃんから実家に電話がかかってきたんですが、運悪く父親がとってしまい、「なんかよく分からないけどなまってる男の人から電話だよー。」とわざとらしく相手に聞こえるように取り次がれてしまい!その後もちろん平謝りしましたけど、なんとなく疎遠になってしまいました。

携帯がなかった時代には、あるあるだったのかもしれませんけど、父よ、ひどい仕打ちだ!

(私の友達の女性陣にはとことんほがらかでやさしかった風だけど、家に連れて行った男性陣には、あからさまに子供じみた敵意なんだか競争心なんだかむき出しで、みんなひいてたなあ今思うと。)

これも、座右の銘「為さざる罪」に忠実だったのかしらん?

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または、イナセな次郎をきどってみたのかも?

なんか、アメリカ、もはやコロナやばいけど、それ以上に、そこらじゅうでいろんな不穏な動きを見聞きする今日このごろ。

地球で一番くらいに尊敬する祖母に聞いた、数少ない戦争話を思い出します。

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彼女は、東京の丸ビルで、イギリスの会社の日本事務所で社長秘書として働いてました。

たぶん私が高校生のときに、

「おばあちゃんは、イギリスの貿易会社の社長秘書として働いてて、日本が戦争に勝つと思ってた?」
「第二次世界大戦が始まる前に、戦争反対運動ってなかったの?」

ほんのちょっとの間があったものの、いつもながらの早口で豪快な笑顔とともに、

「まさか、ほんとうに戦争が始まるとは思ってなかったのよー!!!
だって、ほら、こっちは日々の生活で精いっぱいでしょ、Ken(父)も生まれたばかりだったし。」

と、またちょっとして、「始まってからも、あんなに続くとは想像してなかったわね、ほんとに。」と。

当時は、「そんなことがあり得るのかしらん?」と20%くらい疑心暗鬼だったんだけど、そういう”空気”だったんだなと、今では完全に理解できる。

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今のアメリカで起きてる様々な、大手ニュースでは一切報道されないことを、ものすごい勢いで裏から情報仕入れてきて、いちいちいろいろいろいろ解説してくれる夫に、「ちょっとは次郎魂を身に着けてくれよ!」、と思いつつ、私があまりにズボラなもんで、情勢に敏感でいる夫の話を、もう少しちゃんと聞こうかな、とも思う今日このごろ。

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